練習台は、カクテルではなく「レッドアイ」
新人バーテンダーが、いきなり先輩にカクテルを飲んでもらえることなどありません。
最初に許される「提供」は、営業後の喉を潤すビールやハイボール、そして圧倒的に多かったのが「レッドアイ」です。
しかし、これは単なる片付け中の飲み物ではありません。
先輩ごとに異なる「ビールの銘柄」「トマトジュースの分量」「レモンやミックスBの有無」を完璧に把握し、その日の先輩の疲れ具合に合わせて調整する。
ハイボール一つにしても、「ハイボールのステア回数は適切か」「ガスが抜けていないか」。
先輩たちは、自分の飲み物を作らせることで、新人の基礎技術と「相手を慮る力」を常にテストしていたのです。
「アイスオレ」に凝縮されたプロの観察眼
朝の準備時間もまた修行です。
先輩が定位置に座る前に提供する「アイスオレ」。
ある先輩はミルク多め、ある先輩はシュガーシロップ多め。
それぞれの「好み」を暗記し、何も言われずとも最適な状態で差し出すのが朝の日課です。

タバコの残数が、サービスの「座標」
気遣いは飲み物だけに留まりません。
先輩が吸うタバコの銘柄を覚え、胸ポケットや卓上の箱をさりげなく観察する。
「あと何本でなくなるか」を察し、先回りして買いに走る。
今の時代なら「パワハラ」と一蹴されるかもしれません。
しかし、この「聞く前に動く」という訓練が、バーのカウンターでお客様のグラスが空く瞬間や、何かを言いかけようとする表情を察知する「究極の観察眼」を育ててくれました。
「身近な一人」を満足させられない者は
「一番身近な先輩を満足させられない人間に、初対面のお客様を満足させられるわけがない」
この厳しい教えは、私が10年間カウンターに立つ中での確固たる指針となりました。
先輩への献身を通じて学んだのは、単なる上下関係ではなく、「相手が何を求めているかを、五感すべてで察知する」という、バーテンダーの魂そのものだったのです。


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